「傷物語 III 冷血篇」を観てきたというだけの話をする記事。

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まるまる1年越しとなりましたね、ミナヅキです。
先日の日曜日に映画館まで「傷物語」の3部目となる冷血篇を観に行ってまいりました。

いやはや、物語シリーズのアニメ化1作目、2009年(!?)から追ってきて2017年の今、ようやく傷物語が終わりました。
ここまでくると感慨深すぎて泣けてくるほどです。

「傷物語 II 熱血篇」を観てきたぞ。
数年ぶりに映画館に行ってきました、ミナヅキです。 あ、嘘ですねこれ、今年の頭にも映画館行ってますね。 やっぱり「傷物語 I 鉄血篇」なんですけれども。 続きモノの2部目ということで、しかも上映時間が69分と短めですが、テレビシリーズ同様気負わずに視聴できる作品となっていると思います。 なんていうんですかね、今作があってのテレビシリーズなのですが、テレビシリーズを一通り観てきたからこそ楽しめる作品に仕上がっているんじゃないかと感じました。

物語の始まりの物語の終わりの物語。

前回も書きましたが、物語シリーズは全然時系列順には語られていないシリーズなので、突如前日の話が作品化されたりします。
原作シリーズがそうなのでアニメシリーズが同じように行ったり来たりするのは今更なんの不思議でもないのですが、まさか一番最初の物語がアニメシリーズがほぼ終わっている状態でようやく映像化される、というこの偶然か必然かもはやわからないような順序となっています。

しかしまぁ、この一見へんてこなシリーズ構成がうまく働いているのか、後に起こる出来事やそこでの行動、セリフの一つ一つを知った上で今回の傷物語シリーズを追うと、とてもとても味わい深い事に気づくかと思います。

「傷物語III 冷血篇」、17年1月6日公開!神谷浩史「全力で最後まで駆け抜ける」 : 映画ニュース - 映画.com
西尾維新氏の人気ライトノベル「傷物語」を3部作で劇場アニメ化する企画の第2作「傷物語II熱血篇」が8月19日、全国117館(PG12指定)で封切られ、声優キャストの神谷浩史、櫻井孝宏、久保田光俊プロデューサー、音楽を担当した神前暁が東京・新

阿良々木暦役の神谷浩史も、先に阿良々木暦というキャラクターの顛末を演じているからこそ、阿良々木暦という人間を知ったからこそ出来た演技 というものを語っていました。
「いざ実際にそういった場面に遭遇したら何を見て何を感じて、何を言うか」という実例が先に示されているのですよね。
そこに結びつくような言動を組み立てていく、という役作りになったのだろうなと。

主要4キャラクターの距離感。

時系列でいえばシリーズの最も最初のストーリーで、後に登場する数々のキャラクターは当然画面には出てきません。
特に今回はキャストだけ数えると7人、ヴァンパイアハンター組を除くといつもの4人だけです。

故に会話が濃厚です。
1シーンずつ丁寧に、息遣いやトーン一つをとっても丁寧に演じられたという質感が感じられる出来で、音だけを聞いていてもなかなかに面白い作品だったなぁという感想が出てきます。

暦と翼、暦とキスショット、暦とメメ。
それぞれがそれぞれにまだ相手との距離感を把握出来ていない不安定な中での進行は後のシリーズには見られない距離感として、また後のシリーズでの距離感を決めた出来事として見ることが出来ます。

特に、うーん、体育館の倉庫のシーンは、前回同様というか、映像としてもピンクだなぁとも取れるのですが文学的にも官能的だといいますか、メガネを外す音、布の擦れる音など丁寧に、むしろ妙なこだわりを見せた収録がなされている音だなと感じました。
あれはその筋のヘンタイさんが見せるこだわりそのもののように思えましたがどうでしょうか。

羽川翼という熱量。

しかしなんでしょう、あの羽川翼というキャラクターの熱感、といいますか。
今作のヒロインである事は間違いないのですが、後のシリーズでの立ち位置と大幅に違うよなぁと。
むしろあの体育館倉庫のシーンで距離感が確定したのだなと見ると、まぁ確かにそういう距離感のはかり方っていうのもあるよな、と妙に納得する部分もあったりします。
それは羽川翼の「あぁ私の~」から続くセリフや「友達」という言葉から本意を想像出来るのかなと。

それって事実上のセッ

まぁそういうやり取りがあって、やり取りと言いますか、なんといいますか。
いや言葉を濁しても仕方ないので思った通り書くまでなのですが、身体を許してもらえる関係に対して心を開くという体験は、親や兄弟以外の他人に自分という存在を受け入れてもらえたという自信や解放につながるのですよね。
単なる深読みなのかもしれませんが「今日この日のためだけに~」というあのセリフはある種の脱童貞的な発想といえなくもなく、一見突拍子もないあのセリフも天啓とも言えるような体験に端を発するのだと考えると「あぁそうだよね…」と思ったりもします。
他人に受け入れてもらえる、受け入れてもらえたという感覚は人間を変化させるエネルギーを持つわけです。

やっぱり事実上のセッ…

その後、暦は「怒ってない?」と聞くシーンがありますが、ミナヅキはここで「おや?」と思いました。
相手に対してどストレートに「怒ってない?」と確認するようなキャラクターではないですよね、暦くんは。
まぁその行き過ぎた行動やその後の猛省の結果であろうなとも思えるのですが、それよりも「この人に嫌われたくない」という心理がどこかに生まれており、そこから出ている確認の言葉のように聞こえたからですね。

つまりその羽川翼という存在が暦自信にとって、それほど偉大で尊敬出来る存在として、かけがえのない人として染み付いていたという証でもあるのかなと。

キスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレード(長

傷物語が傷物語となったきっかけはキスショットの存在があってこそでした。
それを助けた、吸血鬼に自ら首を差し出した阿良々木暦という少年がその場に遭遇したからです。

傷物語のメインストリームはこの阿良々木暦がいかにして吸血鬼(のような存在)になったかという話であり、またそれを語る以上はキスショットという存在との関わりは欠かせないわけです。

傷物語3部目にして、吸血鬼の本質に触れる事となり、そこで暦は初めて自分の行いを省みる事となるわけです。

キスショットという存在が語る吸血鬼である自分の事や一人目の眷属の事、後々のシリーズでも重要な意味を持つ言葉もいくつか出てきます。
そして、如何にしてキスショットという吸血鬼は忍という「吸血鬼の成れの果て。美しき鬼の搾りかす。」になったかについても描かれます。

みんなが不幸になる方法ならある。

忍野メメという胡散臭い専門職の方の言葉です。
この人だけは他の3人と違って傍観者的な立場であり続けるのですよね。
言ってしまえば、思春期3人と大人1名。
(400年生きようが500年生きようが思うところがなければおそらくずっと思春期やってられるはずです…。意外と知らないことも多いキスショットさん。あんまり他人に興味ないんですよねこの人。

メメのセリフは何一つ不自然に難しい事はないんですよね。
彼はただただ当たり前な事を当たり前に、綺麗事に包み込まず、むしろきれいごとなんて世の中にはないけれども、それでもまぁどうにかなるんじゃないかな?という立ち位置にいるように見えます。

種も仕掛けもない、ただあるものがあるようにあるだけ、あり続けるだけだし、バランスが重要なんだよというわけだそうです。

それはすべて彼のセリフにあらわれていますし、俯瞰でみれば傷物語という話全体が「これがこうだからこうだよね。」という程度の話しかしていないような感じなのですよね。
どこにもトリックがない。
それはおそらく最後のシーンで「美談にもならない」のクダリで語られている通り、全ては至極単純な話でしかなかったのかな、と。
猛獣を調教しただけの話、だったのかもしれない、と。

「みんなが不幸になる方法ならある」はある意味、パトレイバーの後藤隊長の「みんなで幸せになろうよ」と対をなすセリフだったなと感じました。

どっちも大人のキャラクターが言ったセリフです。
面白いですよね。

ある程度のおっさんは幸せか不幸せを判断基準にするようになるのかもしれません。
肩の力が抜けてくるとそうなるんでしょうかね。
理屈とかじゃなくて、自分がどう感じるか、なのかもしれません。

物語シリーズ全般を通して。

私、今回の映画で一つ気づいた事がありました。
多分熱心なアニメファンであれば作画がよろしくないとかいう感想もいくつか聞こえてきそうかなとも思ったのですが、このシリーズのアニメはところどころ現実感のない不可思議な描写が散見されます。

傷物語であればスポットライトがたくさん並んでいたりそれが順番に点灯したり、建物に日の丸がたくさん掲揚してあったり、同じ自動車がずらずら並んで走っていたり…。

もしかしたら、このシリーズは単純なアニメーションとしての映像ではなく、あくまでも文字を追う中で頭の中に想像される、構築される世界のちょっとしたゆらぎを意図的に含めてあって、文字で描かれていない風景は描かれていないので割と適当な世界として補完されているからあのような不思議な映像として構築されているのではないか、と思いました。

文字で表現や説明がなされているものについてはしっかりと描かれており、それ以外の壁や街並みなどはおかしなパラメーターが入力されたように、標識が並んでいたり信号が並んでいたり…という映像なのかなと。

そうやって考えるとアニメーションはあくまでも付属的なものであって、セリフや言葉にすべて込められている、小説を読み聞かせしてくれているシリーズなのかなとも解釈出来ます。
特に今回の傷物語はそういった印象でした。
(実際のところ体育館倉庫のシーンはあんなに激しくないのかもしれない…(こだわる

総評。

三部作の最後ということで、三部作全体の総評となるのですが、劇場用アニメーションとしては昨今のものに比べると粗さがあるように思えますが、話を楽しむという意味ではいつもどおりの物語シリーズではありますし、ギャグパートというかクスリと笑えるシーンも用意してあってサービス良いなぁと感じます。

また、声優さんの思い入れも強いようで役作りをしっかりされている印象も伝わってきますし、セリフや言い回しが特徴的なシリーズだからこそ言葉の一つ一つを丁寧に解釈して演じられているのだなとわかります。

物語シリーズのファンには文句なくおすすめ出来ますが、いきなり新規さんに勧められるかといえばそこは少しむずかしいかなとは感じます。
今作傷物語の空気感や雰囲気、テイストはこれまでやってきたTVシリーズでのフォーマットや約束事の積み重ねあってこそな部分も強く、慣れている方であれば安心感につながる部分と言えなくもないのですが、初めて観た方であればアクの強さに結構な置いてけぼり感を食らう事となるのではないでしょうか。

上でも書きましたが、ビジュアル的に意味のない部分が多く、話の骨組みはすべて会話にあるので、多少首がポロポロ落ちようが、羽川翼のインナーが所為おっぱい袋じゃないなというところとかは特に重要な情報ではないのです。
(いや、感心したんですけどね、インナーの描写。えぇ。安易におっぱい袋にしないというこだわりはまさに変態さんの仕業であり心意気。

この作品こそが、傷物語こそがアニメシリーズでは最初から欠けていたピースであり、ようやくそれが埋まる事によって見えてきた阿良々木暦というキャラクターの本音の基準点が導きだせたような気がします。
阿良々木暦だけではなく、他のキスショットや羽川翼、忍野メメなどもそうですが。

ラストシーンの暦の心境、決意というか幼女化したキスショットへの想いを語る部分を経て幕となります。
これを観た後で偽物語の入浴シーンでの会話を思い返すと、なかなか重みが違ってくるような感じです。

またTVシリーズを見返したくなりました。
観に行ってよかったなぁと思えました。
原作シリーズも終わる終わる詐欺でまだまだ続いているようなので、機会あったら手に取ってみたいと思うところです。
(電子書籍化すれば間違いなく買ってるんだけどな…

やめい
何も言うな
儂はお前様を許さんし、お前様も儂を許しはせんじゃろう
それでよい
儂らは互いに互いを許さん
それでよかろう
儂らは過去を水に流してはならんのじゃ
それでも、歩み寄ってはならん理由はなかろうよ
それが、3カ月じゃか4カ月じゃか、つらつらと考えて出した結論じゃが……
いかがかな?我が主様

偽物語 忍野 忍 台詞 かれんビー 其ノ肆 : MAZ@Blog
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